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災害大国日本における日本人の防災意識

日本は世界に類例のないほどの災害大国です。気象災害に始まり、地震災害、噴火災害などいつもどこかで被害が発生しています。

明治維新以降、日本は急速に近代化を図り、世界の超大国に肩を並べるほどの経済発展を遂げました。実はこの経済発展の裏側には災害との闘いがあったことをご存じでしたか?

地震災害ひとつをとっても、1868年の明治維新以降関東大震災が発生した1923年までの55間に、関東地方で発生したマグニチュード6以上の地震は12回(出展:理科年表)に及びます。

特に1894年(明治27年)に発生した明治東京地震は、北は青森から西は中国・四国地方まで揺れを感じる大きな地震で、東京では甚大な被害が発生しました。

明治時代は、近代化の象徴として煉瓦建物が多く建築されましたが、耐震化は重要な課題でした。
1914年(大正3年)に開業した赤煉瓦の東京駅は、地下に松杭を数万本打ち込みその上に建てられたこと、随所に鉄筋を入れたこと、目地(煉瓦と煉瓦の接着)に当時は高級建設資材だったセメントを多用するなどにより、関東大震災で倒壊することなく現在に至っています。

建物が燃える兜町の惨状
建物が燃える兜町の惨状

江戸時代の江戸の町の災害といえば火災が有名ですが、実は利根川や荒川がもたらす水害にも悩まされていました。

利根川というと千葉県と茨城県の境を流れて銚子で太平洋に流れ込んでいますが、実は徳川家康が江戸に入府した当時は、江戸湾(東京湾)に注いでおり、東京の東部は湿地帯でした。

それを家康は、60年にも及ぶ大工事により直接太平洋へと注ぐ流路に変わりました。

荒川(現在の隅田川、江戸時代は大川とも呼ばれました)は、江戸時代から頻繁に江戸の町に洪水の被害をもたらしていましたが、明治時代になると、人口の増加により今まで農地だったところが宅地化したことから、洪水の被害は深刻化していきます。

なんと明治時代の43年間に、東京で床上浸水の被害をもたらした洪水は、10回以上発生を数えました。そこで当時の政府は、1911年(明治44年)に荒川放水路(現在の荒川)の掘削に着手します。

このように政府は、積極的に人々を守るために災害対策と取り組んだことから、明治維新以降の近代化や戦後の高度経済成長を遂げることができたのです。

ここで、皆さん、ちょっと考えてみてください。何か大きな災害が発生すると、公共工事の遅れなど行政に責任転嫁していませんか。

日本人は、このような歴史的な背景から「行政が自分たちの命を守ってくれる」と思っている人が多いのです。

「自分の命は自分で守る」という意識が薄い、あるいは欠けているといって過言ではありません。

もちろん行政が取り組まなければならないことは、山積です。しかし、ここで改めて、「自分の命、そして大切な家族の命は、自分で守る」という視点に立って、日々の生活にむきあってみませんか。

このホームページでは、そのような視点に立つことによって得られる気づき、ヒントなどを発信していきたいと考えています。

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